テーマが育毛になった理由
交通事故で 長期入院を余儀なくされていたぼくは、
『 オレンジ病棟 』 を書くにあたり、
主人公が ありとあらゆる病棟を体験してまわる 基本ストーリーの
ほかに、 もう一本 核となるものが欲しいと考えていた。
闘病の物語にしてしまったら、 読む人を息苦しくさせることになる。
からりとしたデコレートが 必要だとおもった。
まずおもいついたのは、 入院患者にバンドを組ませるというものだった。
両脚を失った キーボードプレーヤー。
呼吸器疾患のため、 一分しか叩けないドラマー。
片麻痺のギタリスト。
そして、 歌詞を覚えられない 高次脳機能障害のボーカル。
ひょっとすると、 いけるかもしれないとおもった。
だが、 閑静な病棟内で 楽器を演奏するには 無理がある。
リハ病院なら可能だろうが、 そうなると 急性期の患者が出せなかった。
ジャック・ブラックが演じるような 愉快な主人公に
肥満を克服させるストーリーも考えた。
だが、 デブネタなら すでに エディー・マーフィーが
『 ナッティー・プロフェッサー 』 でやっている。
病人やケガ人に、 ダイエットの運動や 食事制限をさせるのにも
無理があった。
そこで、 390億円の産業といわれる育毛に目をつけた。
今はまったく気にならないのだが、 そのころは
脱け毛が わりと気になっていた。
――これなら、 やりようによって笑いをとれるかも…。
映画 『 Shall we ダンス? 』 のようなユーモアを入れたかった。
育毛を選んだ理由は、 ほかにもある。
大槻ケンヂさんが エッセイか何かで、 ラブソングについて語っているのを
読んだことがあった。
「ラブソングっていうのは、 要するに 結婚詐欺師とやり口が一緒でしょ。
〝キミを愛している〟ということを、手を変え、品を変え、歌いあげていく」
その意見が 必ずしも正しいとはおもわないけれど、
うなずける部分は 大いにあった。
病院だから、 同室患者を死なせる。
余命幾ばくの少女だから、 切なく 美しい。
自分をひいた加害者が 憎くてたまらない。
そういった どこかで聞いたことのあるエピソードは 外したかった。
病院や病気に もっとも相応しくないもの。
悲劇と喜劇をむすびつける 滑稽(こっけい)なもの。
育毛をテーマに選んだ理由は、 つまりそういうことだ。