役に立ったカセットレコーダー その3

入院して四か月がたったころ、 見舞いに来た人たちから 忘れっぽく
なっていると指摘を受けるようになった。

「 朝ちゃん、 ちょっとボケたんじゃない? さっきから同じこと
五回も訊いてるよ? 」

再三再四 同じ質問をされ、 頭にあるかどうか テストされたりした。

いまは割と平穏だが、 かっとなったり、 不安定になっていることも
指摘された。

「 なんで怒ってるか わかんないよ 」
「 朝さん、 頭部外傷のせいか、 なんか以前と変ったね 」

入院している病院の精神科にかかり、 交通事故後に起こるPTSDと
診断された。

この時点では それほど自覚はなかったとおもう。 家族は 担当医から
「 いつも病棟で ぼーっとしている 」 といった話を聞かされたそうだ。

病棟でも薬を飲み忘れてしまうため、 看護師さんにより、 ぼくの
床頭台 ( ベッドサイドに置かれた台 ) の上にだけ 〝 くすり箱 〟
なるものが設けられた。

これはどういう物かというと、  『 朝 』 『 昼 』 『 晩 』 『 寝る前 』
と区割りされた透き通った小箱で、 薬を飲み忘れないよう、 
飲み終わった薬袋を容れるためのものだ。

そうして入院生活を送るうちに、 かばんに入っていたカセットレコーダーが
役に立つようになった。

車で旅行中、 「 いま、 ○○のあたりを走っています 」 といったことを
録音するために 購入したものだった。  

見舞いにきた人との会話や 医師の説明をカセットレコーダーで
録するようになったものの、 入院している時点で 健忘の自覚は
あまりなかった。

入院中はテレビ見て寝てるくらいしかない、 単調な生活だ。 
自覚がなくて当たり前である。

だが、 退院して、 自分の健忘を身を持って感じることになった。

そのころから、 母が勝手に財布をいじって、 中に入っているカード
とかを ベッドの上にほっちらかすことが 幾度となくあった。

そのたびにぼくは 「 勝手に人の物をいじるな! 」 と立腹した。
母は知らないと とぼけている。

だが、 両親が旅行に行っているとき、 自分の財布の中身が
またもやベッドの上にひろげられている。

ぼくは ぞっとなった。 犯人は自分だったのだ。

今でもたまにこんなやりとりがある。

「 久しぶりに肉が食べたい 」
「 おととい ヒレカツ食べたでしょ 」
「 食べてないよ 」

「 食べたでしょ? 」 といわれても、 ほんとうに憶えていないので、
ぼくにしてみれば、 「 ??? 」 なのである。

現在も、 何かをしていて、 さっきそれを自分でやった形跡が
残っているのに気づき、 はっとなったり、 家族から 「 さっき自分で
言ったこと、 忘れちゃったの? 」、 「 もうそれ聞いたよ 」 などと
突っ込まれるようなことが よくある。

〝 記憶がとぶ 〟 というのとは、 すこし異なる。 〝 記憶がとぶ 〟
ということは、 それ前後のことは覚えているということだ。 

軽々しい自己分析は避けたいが、 文字通り 〝 そのときのことが
頭にない 〟 のではないかとおもう。 

ちなみに、 憶えていることもあります。

ストーリーの流れが悪くなるので 『 オレンジ病棟 』 の中には書いて
ないが、 医大の研究室みたいなところで NIRS ( 近赤外光脳計測
装置 ) という最先端の機械をつかった脳検査も受けた。

これは、 頭にヘルメット状のセンサーを装着された状態で 医師に質問
され、 となり部屋にいる検査員が、 ぼくが質問に答えるときの 脳の
反応を モニターで見るというものだ。

赤外線で 脳の各部分の血流変化が識別できるらしい。

検査の結果、 ぼくの脳の反応は 明らかに前頭葉障害のパターン
なのだそうだ。

ただ、 ヘンに憶えていることが たまにあったりもする。

――ん? いまの憶えてるじゃん!

心のなかで自分への突っ込み。 側頭葉などの中枢が関係している
のだろうか。

結局、 そこらへんの中途半端さが、 障害を受け容れていない理由の
根底にありそうな気がする。

話が横道に逸れてしまったが、 事故にあってから録音したカセット
テープは、 入院日記や開示したカルテ、 入院当時のメール記録などと
共に 『 オレンジ病棟 』 を書いていく過程において意味を持つことに。 

その話は、 おいおい。

この記事は、もうすぐ消滅するgooブログに、2010年10月9日、12日、15日に掲載したものです。

©2010 Daisuke Asaoka

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