人を許せるということ

以前、 プロレス雑誌の編集者がこんなことを言ったことがある。

「 アントニオ猪木さんの 〝 許す力 〟 ってすごいですよね 」

たしかに 猪木さんの許す力は すごいとおもう。

永久電気の開発に 億の投資をして騙しとられたり、 自分の団体で手塩に
かけた選手を 他団体に引き抜かれたり。

それでも猪木さん本人は、 
「 どうってことねえよ。 がっはっは 」

あの器のでかさ、 前向きさは、 並大抵の人間にまねできるものではない。

いまは面と向かわなくても自己主張ができるネットがあるから、 相手に気に
入らないところがあると、 すぐに目くじらを立てる者がいる。

それこそ他人がヘマをしたり 失言があると、 ここぞとばかりに。

叩いているのは ティーンエイジャーだろうか。 攻撃相手とは 一生かかわる
ことはないだろうに。 ヒマなのだろう。 

他人をおいそれと こきおろせるということは、 自分を最高の人間とおもって
いるのかもしれない。

人はだれだってヘマをやる。 生きていれば、 過ちや失言もあるだろう。

他人の過ちを許し、 よいところにだけ目を向ける。 そうでないと 時間が
もったいないし、 自分も前へは進めない。

大人を大人たらしめるもの。 それは、 人の過ちを許し、 受け容れ、 つき
あっていく力が備わっているかどうかではないだろうか。

小さいことは気にせずに、 相手を許すおおらかさを持つ。 最近のぼくの
テーマだ。

「 どうってことねえよ。 がっはっは 」

その域に達するまで、 あと数十年かかりそうだが。

◆この記事は、もうすぐ消滅するgooブログに、2011年12月22日に掲載したものです。

© 2011 Daisuke Asaoka